3月なのに雪が降った日。
川を越えた先にある大きいお風呂へ行った。
一緒に来た人とは入り口で別れを告げてそれぞれに用意されたお湯に進む。
内風呂が3つ、外風呂が7つほどあった。
どのお風呂にも一回は浸かる。効能とかも眺めるけれど読んではいなくて。貧乏性故の、お金が勿体ないからという理由だけでおじゃまします。
それでもお気に入りのお風呂のかたちがいくつかある。
中でも寝湯がお気に入り。お湯のお布団みたいでやさしくて好き。
石みたいな枕だけはどうにかなると嬉しいのだけど、それでも好き。
川を越えたお風呂の寝湯はジェットバスと合体したかたちをしていた。
1分間隔くらいでジェットバスが強まったり弱まったり。独特のリズムがおりなされる。
よく見るとアトラクション風呂と名前がついていた。
「アトラクション風呂」と声に出す。
あまり見ない文字の組み合わせと妙な納得感で思わず読み上げた。
アトラクションもお風呂も嫌いだった小さい頃のわたしにとってはさぞかし怖いものとして目に映るだろうと思った。
アトラクションはそもそも大きい音というだけでだめだった。ディズニーには笑顔で乗れるアトラクションがひとつもなかった。急発進も落下もないバズライトイヤーの乗り物でさえ泣き叫びながら銃を乱射したことしか覚えていない。
お風呂。特にみんなで入るお風呂は嫌いだった。まるまるむっちりした身体を見られているのではないかと恥ずかしくてそればかり気にしていた。
みんなが気にならない理由が分からなかった。分からないなりにみんなは気にならないということだけは分かり、修学旅行は普通になるため一番に服を脱いでた。
いつの間にか大きい音で泣かなくなった。
いつの間にかみんなでお風呂に入れるようになった。
そのいつは、いつだったのか。
長田 弘の詩集『深呼吸の必要』にこんな一節がある。
はじめて乗った自転車。はじめての海。
きみはみんなおぼえている。
しかし、そのとき汗つぶをとばして走っていた子どものきみがいったいいつおとなになったのか、きみはどうしてもうまくおもいだせない。
『深呼吸の必要』(長田弘/晶文社)
両親のいない家への帰路。
ひとりきりで入ったアトラクション風呂。
いったいいつおとなになったのか。

